ノック音ふたつの後で。
お客様ですよ、と自室のドアを開けたのは白鶴だった。中に通された「お客」に、ベッドで寝転んでいた太公望は目をみはり素早く上体を起こした。
「普賢!?」
「ではごゆっくり。後でお茶をお持ちします」
「ありがとう、でもお構いなく」
白鶴は軽く会釈して背を向け、いったん部屋を出て行く。
太公望は枕元の時計に目をはしらせた。
現在の時刻は18時45分。
「おぬし何でこんな時間に」

約束は17:45に駅前、だった。
今夜開催される花火大会の見物に、太公望と普賢は学校の級友や気の合う先輩後輩らと連れたって、会場となっている郊外の河川敷まで出かける算段となっていた。
しかし太公望は当日急遽の欠席となり、午後にはその旨を一緒に出かける予定だった皆には伝えてあった。当然普賢にも。
こんな時間に、何故普賢がここにいるのか。太公望は訳が分からず混乱するばかりだった。
「お見舞いに」
簡単に答えると、普賢は太公望のもとに歩を寄せて、茶色の紙袋を差し出した。
「…行かなかったのか」
ようやく事態をのみこんだ太公望は、小さく呟いた。
「うん」
普賢はいつもと変わらないやりかたで微笑んだ。
「……」
太公望は紙袋を受け取ったものの返す言葉を見つけられず、ただ普賢を見つめ返していると普賢は少しだけ困ったように、しかしやはり笑ってみせた。
「僕が来たくて、ここに来ちゃったんだよ」
真っ直ぐな声色が、普賢の思いはその言葉どおりと伝えている。
太公望はひとつ息をつき、受け取った紙袋の中を覗き込んでみた。
「元気になったらしようよ」
「なんだ、食べ物ではないのか」
袋の中身は花火だった。幾種類もの手持ち花火。
「…望ちゃん」
普賢は軽くため息をつく。
「何でこういうことになったか忘れたの?」
「う…それは」
きまりの悪い太公望は普賢から思いきり目を逸らした。

本日の太公望の欠席理由は「かき氷の食べすぎにより腹をこわした」といういたってシンプルなものだった。

「寝てなくていいの?」
普賢はベッドの端に腰掛け、目の高さを同じくして太公望を覗き込んだ。
「うむ。大分落ち着いてきたからな」
「そう、だったら良かった」
普賢は、今度はほっとしたように息をついた。
「それにしても一体どれくらい食べたのさ」
「さあのう…」
太公望はあさっての方向に目をやり口ごもる。

「ふた桁は食べましたよ」
声は開け放したままの戸口の方から投げ込まれた。ふたりがそちらを向くと、白鶴がガラスの杯や湯のみが載った盆を手に立っていた。
「白鶴、余計な事は言わんでいい!」
「望ちゃん…ふた桁はすごいね」
「…まあのう。正確には17杯、新記録樹立だったぞ」
太公望は胸を張って応えた。
「それはすごい、けど…」
「元始天尊様も私も止めたのですが」
白鶴は太公望の保護者である祖父の名前も出して言い添えながら、冷茶が注がれた杯と水まんじゅうの小皿をベッド横の机の上に並べた。
十二の頃から太公望は祖父と、祖父の仕事に関わる雑事を任されているこの白鶴と、三人で暮らしていた。
「どうぞ」
「ありがとう」
「おい、わしの分は」
「どうぞ」
と差し出された湯気のたつ湯のみに、太公望は表情を硬くする。
「元始天尊様から今日は一日こちらを飲ませるようにと」
「ジジイ…」
渋々受け取った湯飲みの中身は、腹痛によく効くという薬草を煮出したものだった。
とにかく苦い、ひたすら苦いの一点張りの薬草で、飲みきるにも大層苦労する。しかし効果は確かに発揮されているようで、半日飲み続けたところ、転がりまわる程ひどかった腹痛も夕刻あたりには落ち着いていたのも事実なのであった。
「ちゃんと飲んで治しなよ」
至極冷静に普賢は言って、いただきます、と冷たい緑茶をひと口飲んだ。杯の中で氷が触れ合って涼やかな音をたてた。
「他人事だと思って」
太公望は手の中の湯のみを恨みがましく見つめた。
「僕には何も出来ないもの、仕様がないよ望ちゃん」
あっさりとしかし容赦なく普賢は応える。
おぬしはそういう奴であった、と呟きながら、薬湯をひと口含んでみる。何度飲んでも慣れることなく、苦い。太公望は力なく肩を落とした。
「そのお祖父さんは出かけているの?」
「ジジイは老人会のお仲間と花火見物に行っておる。かわいい孫がこんなに弱って花火にも行かれずにおるというのに薄情なものだ」
「ああ、でもそれは…」
一斉に注がれた普賢と白鶴の視線。彼らの目は語っていた。
「…分かっておるわ」
太公望だって十分承知していた。この状況はいわゆる自業自得以外の何者でもないと。
「じゃあやっぱり早く治さなきゃ」
普賢は邪気なく笑って言った。


どうにか湯飲みを空にし、もう元気になった!と言い張って普賢とふたり庭に出た。事実、腹の調子はすっかり落ち着いていた。認めたくはないが、祖父の煎じた薬草のお蔭と云えるのかもしれない。
白鶴も誘ったのだが、私は遠慮します、と眠たげに彼は応えた。間もなく相当の早寝である彼の就寝時間なのだった。
バケツに水をはり、素焼きの鉢の底に立てたロウソクに火を点ける。相手の位置だとか縁側に無造作に並べ置いた花火の所在が分かる程度の最低限の明かりは確保された。
ひとつ手に取った縞模様の紙が巻かれた花火に点火すると、闇の中に薄緑色の光がほとばしった。
断続的に現れては流れる光や爆ぜる音、煙で庭はしばし満ちた。
日中の、思わずかき氷をふた桁食べてしまう程(しかしこれは理由にならない、と周囲から却下される事も太公望は分かっているが)の暑さは大分薄まり、吹く風も心持ち涼やかであることに気づいた。盛夏の峠は越えたのだと思い知らされる。

縁側の花火があらかた無くなった頃だ。
「やっぱり最後はこれだよね」
と、ひそかに取り分けておいたらしい線香花火の束を普賢は高く掲げて見せた。
「…フィナーレにしては地味だのう」
「そう?」
揺るがない普賢は、締めくくりにはこれが相応しいと固く信じている様子だった。
太公望は差し出された一本を受け取って火を点け、やがて生まれる小さな火の玉とそこから派生する花の姿に息をひそめた。

「今日はすまなかった」
本当であれば今頃、夜空いっぱいに広がる打ち上げ花火を眺めていた筈だった。体の内側まで響く活きの良い弾音と、歓声の中にいた筈だ。夜店が立ち並ぶ賑やかな会場を仲間達と笑いあいながら歩いていたことだろう。
それが今夜は実に小ぢんまりとした、手のひらに乗るような花火大会となってしまった。
「どうして望ちゃんが謝るの?」
「わしのせいでおぬしまで行かれなくなってしまったではないか」
儚くも、与えられた命を全うさせる姿は実に力強い、線香花火の灯を見つめたままで太公望は答えた。
「さっきも言ったけど、僕が来たかったからここに来たんだよ。それは望ちゃんのせいじゃないよね」
「しかし…」
「それに、僕は今すごく楽しいよ」
目を上げると、柔らかな灯の中、いつもの笑顔がそこにあった。
無理やりにたぐり寄せた言葉ではないと分かった。
「望ちゃんの方こそ…楽しくない?」
「…楽しい」
それ以外に心から返す言葉などなかった。
「だったら良かった」
太公望の言葉に、普賢は笑みを深くした。

それは、例えば祭り提灯を軒下に提げた夜店が並び夜空に煌く何千何万の打ち上げ花火を一望出来る会場だとか、気心の知れた友人達と賑やかに過ごすという状況などから生まれるのではないと気づいた。この、内側に強くある、楽しいという気持ちは。
ではどこから来るのか?

見つめる先、すぐ触れられる間近にある笑顔。

それはきっと「ここ」から、今も、そしていつでも。
すとんと胸に落ちた答。
もしかすると実は疾うに知っていたかもしれない答。
「?どうしたの望ちゃん」
「…いや」
そんな事を告げられる訳もなく、何だか普賢を直視することも出来ず、太公望は視線をさ迷わせた。
目にとまった線香花火を二本手に取って、ひとつを普賢に差し出す。
「勝負だ。負けた方がアイスをおごる事!」
「望ちゃん、またお腹こわすよ」
呆れた口調で、しかしやはり楽しそうに普賢は笑い、差し出された花火を受け取った。
ふたりはそっとロウソクの炎に花火の先を近づける。

まばたきひとつ分程置いたのち。
ふたりの視線が重なったところで、新しい炎が生まれた。





written by サイトウレナ様(ナショナル・ミニマム

[13年 9月 22日]