仙界では人気のない道が珍しくない。とりわけこの道は人通りが少なくいつも静かだ。
風がない穏やかな日には、下界のざわめきが聞こえてくることさえある。

 
「あの」

 
遠慮がちに声をかけられて、振り返る。立ち止った私に、数歩離れてついてきている殷郊が追いついた。


「なんだ」
「今日はどこかに寄っていくのですか?」


のんびりと道を歩いている間も、まだ幼い弟子は真面目くさった顔をしている。傍目にはさぞかし似合いの師弟に見えることだろう。私は前を向き直し、また歩き出す。背後で殷郊が距離を保ってついてくるのがわかった。
彼は私と並んで歩こうとしない。

 
「今日は赤精子のところには行かない」
「・・・よろしいのですか?赤精子さまはお待ちになっていると思うのですが」


やはり遠慮がちに、しかしはっきりとした口調で問いただしてくる。


「待ちぼうけを食らわせればよい。こんな気持ちの良い日にあんな陰気な洞府で修行などしていられるか」


空が高い。ここは仙界でも高度の低い場所だ。風に乗って本当にかすかな桃の香りが運ばれてくる。
殷郊はそれ以上なにかを問おうとはせず、ただ黙ってあとをついてくる。聡明な彼は、私の意図に思いをめぐらせているのだろう。頭の中の考えに気を取られて、きっと足元か私の背中しか見ていない。
そのまま黙々とただ足を運び、たどりついたのは切り出した崖の上だった。

 
「ここに来たことはあるか」
「いいえ、ありません」
「だろうな。ここを知る者はそう多くない。少し入り組んだ道を進まねばならないからな」


崖の頂上で、空に足を投げ出すようにして腰を下ろす。殷郊は恐る恐るといった様子で、同じように隣に座った。

 
「見事な景色だろう」
「ええ。崑崙は美しいところですね」


目の前に広がる雲に目を細めて、殷郊は答える。
彼は気付いていないに違いない。いま自分が挑むような目つきをしていることに。

 
「・・・・・世界は美しいのだよ」


雲の合間から、緑の大地がのぞく。この弟子の住むべき世界が見える。刻一刻と輪郭を変えるそこに、私は目をこらす。

いつかこの子は遠くへ行ってしまう。それは予感と言うより確信に近かった。

引き寄せて留めておく努力を怠るつもりはない。だが彼が彼として生きることを止めることは、師である私にも許されないのだ。
彼が道を定めてしまったら、あとは立ち塞がることしかできない。そうなる前に伝えておかねばならなかった。
進む先からほんの少し視線をずらしてみれば、花が咲き鳥がさえずっているのだということ。おまえがどの道を進むことになろうと、それは変わらないのだということ。おまえが気付くことをどんな時も祈っている者がいるのだということ。

 
「たまにはこういうのもいいものだろう。だが私の授業を無断でさぼったらただじゃおかないからな」
「断りを入れてからでは、さぼりとは言えないのではありませんか」
「理屈をこねるんじゃない」
 

私の肩の高さの頭に手を乗せ、乱暴に撫でる。小さく漏れた笑い声がようやく、年相応の明るさで響いた。 


TV様からお題をお借りしました。ありがとうございます。
written by みつん(百代の過客

[12年 08月 25日]