郊外の小さな街のプラットホームには人はまばらだった。夏も終わりを控えた時期柄、休暇を帰省に費やした家族連れの見送りすら今はない。最近整備された地方の駅で、土地の十分に確保された区画に計画的に建設された学園都市に位置していた。

蝉の声と光の洪水が線路側から溢れ出し、ホーム側はまるで一つの劇場のように空間が乖離している。そのベンチに、学生服を着た二人の少年が居た。一方は襟のボタンを首まで留めて平然としていたが、一方は大きく服を着崩した上にシャツを掴んで体を仰ぎ、暑さに対する飽くなき抵抗をしている。彼ら二人は友人で、これから都会へと越していく一方の見送りに来ているのだった。

上着を掴むのを止めた少年は立ち上がると、伸びと欠伸と気温への呪詛という器用な同時行動を取る。そのまま、電光掲示板を見たのち、軽い失望と共に傍らの少年を見やった。彼は広げた参考書を大きな肩掛けの鞄の上で読んでいた。日光に透ける色素の薄い髪が項の辺りをそよぎ、彼がほとんど汗をかいていない事が伺えた。何か言おうとして口ごもり、代わりに別の言葉を発した。引越し先は少年誌が早売りで読める地域だ、とか、編入試験によくも受かったものだ、とかいった事をぼつりぼつりと話したもう一人の少年は、「少年チャンプとは何か」とか、「それは努力であり、少年とは違う」などと柔和な笑みで応じた。

同世代に一般的な雑誌を友人が知らない事に驚愕し、同時に生活圏の隔たり に憤りを覚えた少年が、理不尽な怒りを一方の少年にぶつけようとした頃に、電車が来た。一方の少年が本を閉じて立ち上がる。閉じた参考書の教科名の文字が、暑さに滲んで奇妙に印象に残った。結局、終わりの終わりで少年は簡単でしかし大切な事を口にした。ドアごしに仰々しいからとそれでも渋った握手の、乾いた冷たい大きな手と共に、友人の最後の記憶となった。

それきり、少年と友人は二度と会う事はなかった。

彼らの世界史の年表は、ある日突然掻き消えた。

彼らの星の創造主はひどく気まぐれでほんの少しでも興に沿わない世界が指の間からこぼれると、悉くそれを消してしまうのだった。再び同じ星の地殻上に海が生まれ、生物が育まれ、そしてまた幾度かの滅亡と復興が繰り返される。悠久の月日の果てに地表は再び太古の澄んだ空気で覆われ、人々が漸く青銅の文明を築き上げる時代となった。

その世界の中央に最大で位置する大陸の東方、高山を崇め草原を駆ける民族の棟梁に、二人目の子供が生まれた。その子供は、言葉も知らない、その世の中というものをただ生まれたての赤子の肌で感じて
いた時分に、ひたすら空に手を伸ばす事があった。彼らの民族が神と崇める山とは反対の方角にも手を伸ばすものだから、「この子は神様を嫌がっているのか」と一族の者はからかって言った。彼は生まれた。高地の凛とした空気が虚空に向けた小さな指に絡んで、風と共に抜ける。その様は、見る者によっては、この時代の大地すらも記憶してい ないかのような幾億の昔、果たされなかった何かに手を伸ばすようにも見えた。ある日子供は、遠征に出掛ける両親の留守の間、同族に預けられていた際にあっけなく異民族の戦に巻き込まれ死んでしまう。

この時代は神話の世界と人間の世界は未分離で、仙人達が地上を行き来していた。かねてより地上を観察していた仙人界の長老が、人間界の趨勢図を操作する目的から地上の人間に器を探していた。爺はす
るすると天界から降りて来ると、自分の持っていた手の中の魂をひとつ、死んだばかりの体に埋めた。赤子はすぐに目を覚まし、やがて間もなくやって来た父親に拾われた。

この男の子が長じて翁に再び見出され、仙人の仙界にやって来た。歳は十二で、彼の部族を丸々亡くしていたが、目の前に開ける新しい世界に好奇心もまた抑えられない年だった。言葉を喋る鶴に案内されながら、男の子は岩をくりぬいた部屋を興味深そうに見やりながら歩く。彼はこの区画にはやって来たことがなかったが、今日は同時期の昇山者と目通りする日だった。部屋の扉の前で鶴が止まり、中の者が自分と同じ年の頃だと男の子は知らされた。開いた岩壁の扉の向こう、薄明かりの中に背格好も同じ程の少年が立っていた。ちりちりと舞う埃の光の帯に僅か照らされて、色素の薄い髪が揺れて止まったこちらを向いた少年が笑顔で手を差し出す。鶴が、「少年の住んでいた地方での友好の証なのだ」、と教えてくれた。男の子は戸惑いを見せたが、ふいに、吸い込まれるように手を伸ばし た 。

向かい合った少年の髪の色は、仙人界の空気に染まって空の色より澄んだ水色だった。しかし、それよりも男の子は、彼の手が柔和な外見に反して、乾いて、冷たく大きかった事に目を見張った。


written by 岸代亘さま

[12年 07月 31日]