雨上がりの虹が美しく映えた朝。
白い雲へ七色の光が伸びやかにかかり。
風が駆ける、空が走る、大地が踊る、緑が揺れる。

夕べ遅くまで、ここ一週間ほど降り続いていた雨の残滓が、まだそこかしこに残っている。
けぶるような水面の輝き。
ゆらゆらと。きらきらと。

少し背伸びして、すぅ、と一つ深呼吸すれば
内側の積もるものを吹き払うように、明るい大気が胸を満たす。

いい朝だ、と思った。
陽光の眩しさに、そう、湿っぽい空気など
かききえてしまうだろう。



「おはよう、木?」

そのおかげもあるだろうか。

「おはようございます、師匠」

振り返れば、ここしばらくふさぎがちだった師匠が
どこかぎこちなく、それでも笑顔で、見送りにきていた。

「いよいよだね…」
「はい」

だから自分は殊更に笑って見せた。
足下に広がるこの空の青さや、活き活きと満ち溢れる風の爽やかさが、
少しでも伝わればいいなと思って。

「師匠、ありがとうございます」
「うん」
「元気にしててくださいね」
「うん」
「それから、泣かないでくださいね」
「うん」
「ちゃんと食べなきゃダメっすよ」
「うん」
「あと睡眠も」
「うん」
「なーんか心配でやんす」
「もう、望ちゃんじゃないんだから・・・」

そう言った瞬間にはっと息を飲んだのは、聞いた自分ではなく、発した本人。
無意識から生まれる自然さが、唇から言葉をするりとこぼす。
その声色があまりにも明るく響いて、かえって二人の間に影を落とす。

「ごめんね」
「なーにいってんすか!」

曇った表情のまま固まった師匠の様子に、これじゃどちらが師匠だかわからないですぜ、と笑う。
重い空気を笑い飛ばしたくて。きれいな瞳の陰りを吹き飛ばしたくて。
そしたら。

一瞬、師匠が泣きそうな顔をした。
くしゃりと表情がゆがんで、でも。

それでも、ぐしゃぐしゃな笑顔で。

「木?…」

ぎゅ、と抱きしめられた。


***



少しの間、動きを止めた二人を包み込むように、やさしく、やわらかな風が吹く。
朝焼けが溶けた雨露は、萌ゆる緑に小さく飛沫を上げ、
水色の一房へ銀を塗すように染み込む。

ぽたり。

頬を伝う前髪の奥で弾けた雫の冷たさに、ふと顔を上げた木?の頭をふわりと撫でて
身体を少し離した。
小さかった弟子の、大きくてほんのり温かい手のひらを
そっと、強く、にぎる。

約束は、しないから。
せいいっぱいの心で。

「いってらっしゃい」

そしたら、君がうなずいた。
その温度が離れる瞬間に、見せてくれたとびっきりの笑顔は
本当に、どれだけまぶしく思えたことだろう。

「いってきやす!」

きらめく炎が、走るように。

弾かれたように駈け出した君は、軽やかに頂へ飛んでいく。
ためらいも戸惑いもかき分けて、燻ることなく立ち消えたそれらを、振り返らずに。

大柄な金属製の従者は、そのてっぺんから見渡す彼を、
轟音と巻き起こる乱気流と共にさらっていって、足下の空へあっと言う間に消えていく。

遙か遠く、小さくも。
美しく強い光。

いとおしいきみよ。
どうか。


***



どれだけそうしていただろう。
佇んで、彼方を見つめ。

広がる静寂に落ちる悠久の時は、穏やかに沈黙を守りながらも、確実に流れているから。
霞のようにたなびく白が、幾重にもあなたの行方を遮り。
見えないその向こうの、遙か青の中へ消えた影を追うのをようやく止めて。
やがて彼は踵を返す。

同じ空を、見られずとも。
来た道を、戻れずとも。

忘れることはないから。
だから、どうか。


written by コウノ様

[12年 07月 28日]