「ほーしんけーかくをーまかされたー」
「そう。で、キミは何をしているの?」
 ソファに寝そべった太公望がクッションに顔をうずめて、ぐみょぐみょうなっている。はいはい桃だね、と普賢は席を立つ。
 一昨日の晩やってきた太公望は元気いっぱいグウタラしている。ソファを占領し、本を読み散らかし、好きほうだい部屋を荒らしては、勝手に戸棚を開けて堂々と菓子を食べて厨房の木タクから諦めの眼差しを受ける。いつもどおりだった。
 ざるに山盛りのもぎたてを持ち帰ると、待ってましたとばかりに手が伸びる。みっつほどきれいな種にしたところで、普賢もひとつ手に取った。
「何が特別メニューだジジイめ、体のいい左遷ではないか」
「無事戻ってこれたら座り心地のいい椅子が待ってるよ、ヨカッタネー」
「出世したくないからサボっていたというのに……!」
「働くくらいなら?」
「食わぬ」
「目指せ即身仏」
「晴れた日は虫干ししてね〜って誰が干物じゃーい」
「ツッコミにキレがないよ望ちゃん」
 普賢は涼しい顔で湯飲みを傾けた。
「ここで終わりか、わしの青春」
「思春期何周目なの? キミなら筆頭狙えるって、崑崙幹部ってのも悪くないよ、うん」
「さすが十二仙サマは余裕だのう」
「文句があるなら玉虚宮までいらっしゃーい」
 目の前でひらひらと振られる白い手を太公望は恨めしげに見やった。この線の細い親友は太公望の同期にもかかわらず、あれよあれよと言う間に昇進し十二仙の一翼にまでなってみせた剛の者。最近妙に貫禄が出てきた。
 太公望はクッションを抱えなおすと頬をぷっくりふくらませる。わざとらしくため息をついた。
「はー、しっかしめんどくさいのー。とにかくめんどくさいのー。なんたってめんどくさかろー? とどめにめんどくさいときた」
「破門は困るんでしょ?」
「当然だ、ひな鳥より繊細なわしになんたる仕打ち」
「よーし、じゃあ十二仙として『ほーしんけーかく』を上手くやるコツをレクチャーしてあげよう」
「ほう」
「僕を使い潰すんだよ、望ちゃん」
 太公望が片眉を跳ね上げた。口を真一文字に引き結び、ひたと見据えてくる様は藪に潜む獣に似ている。
「いいかげん腹をくくりなよ、その未練たらしい目をやめるんだ。なんとかして何も巻き込まずに済ませようと考えているね」
 柔らかな表情を変えず独り言のように普賢は呟く。
「もうそんな段階はとうに過ぎているんだ。誰よりもキミがわかっているはずだよ。これ以上、先延ばしにできやしないってこと」
 とろとろと眠たげに穏やかに降り積もる言外の意味に、だがしかし太公望は、はっきりときっぱりとひとつひとつの音に力をこめて。
「いやだ」
 
「あれ、師叔帰ったんですかい?」
「うん。客間の掃除をお願い」
「へえ」
「ベッドにカバーをかけておいて。鍵もかけちゃっていいよ、当分使わないから」
「あい、わかりやした。師叔しばらく来ないんですか」
「出張だよ、たぶん戻ってこないね」
 目を丸くした弟子についでにとお茶を頼んだ。頭をひねりながら廊下を歩いていく聞き分けのいい後姿にぬぐいがたい不安を感じる。
「もう少し稽古をつけてやらなきゃ……。困るんだよね、しっかりしてくれないと。僕にだって、情ってものはあるんだからさ」
 軽く息を吐き、桃にかぶりついた。口の中に広がる爽やかな香りと甘味、じっくりと味わって飲みくだす。彼と同じ器からものを食べることは、二度とないだろう。
 太公望が残していった種をつまんでみた。どうやったらこうも器用に果肉をこそげ取れるのか。
 ……そういえば聞いたことなかったや。これだけいっしょに居たのに。
 普賢は小さく笑った。
「どうか何があっても何が起きても、いやだって言い続けてね、望ちゃん」


written by 兎白ノヒト(本能とあなたとわたし。

[12年 07月 05日]