夏野菜を育てよう!


これは、玉鼎に預けられたばかりのまだまだ幼い弟子が、天才的な素養と熱心な修行の成果でようやく常時人の姿を保てるようになった頃のこと。

自分の好みの野菜ではない…ということで、昨日道行天尊に半ば半強制的に押し付けられたばかりの小さな植木鉢に入っている胡瓜の苗。
近いうちに植え替えようと思いながら洞府の庭先にとりあえず置いてあった夏野菜の苗を、修行の合間に早速目ざとく見つけた楊ぜんは、その場でふとしゃがみこんだ。


「ししょう、…これ、何ですか?」
「楊ぜん、これは野菜の苗だよ」
「なえ…?」
「これは、胡瓜の苗なんだ」


楊ぜんは玉鼎の説明を聞くと、角度を変えて唐突にあちらこちらから苗を覗き込んだ。
左右から順番に眺め、葉の裏側を覗きこみ、更には土の中の根っこまで見通す勢いでじっと凝視した。
そして、最後に立ちあがったかと思うと苗の周りを小さな足でくるりと円を描き、たたたっと軽い足音を立てて一周する。


「きゅうり?でも、きゅうりなんてどこにもないですよ?」


大真面目な楊ぜんに、玉鼎は思わずおかしくなって吹き出したくなる気持ちを必死でこらえた。
どうやら楊ぜんはまだ花も咲いていない夏野菜の苗に、いつも食べている胡瓜の面影を探そうとしたらしい。
突発的にこみあげてくる笑いを玉鼎はどうにかおさめる。
あくまで自分なりに考えて楊ぜんがそう結論づけたのだから、笑ってしまってはいけないだろう。
声が震えないように細心の注意を払いながら、玉鼎は楊ぜんの誤った結論を解いた。


「これは苗だからな。段々と大きくなって、そしてやがて胡瓜になるんだ」


楊ぜんは真ん丸の瞳で玉鼎を見上げた後に、目の前にある胡瓜の苗をじっと瞬きもせずに見つめた。
細いようでいてきちんと天上に向けて真っ直ぐに背を伸ばし、青々とした葉を所々につけているその確かな存在。
楊ぜんは再び座り込むとその苗をどこか不思議そうな様子で、興味深げに真っ直ぐに見やる。


「大きくなるって、どういうことですか?」
「うーん…毎日少しずつ、だけどちゃんと確実に、大きくなるんだよ。背が高くなって、花もついて…そしてやがて美味しい胡瓜が出来るんだ」
「何で、大きくなるんですか?」
「きちんと水をあげて栄養を与えるから…かな」
「えいよう…?って…なんですか?」
「うーん…生き物には必ず必要なもの…と言えばいいのだろうか」
「それは、どんなものですか?」


最近楊ぜんは、質問をすることが増えた。
それが、玉鼎はとても嬉しいことだと思いつつも、なかなか時には核心をつくような問であったりもするので、どのように考えればいいのか実は困ることもとても多い。
でも、ひとつひとつに玉鼎は自分なりにじっくりと考えてから楊ぜんに答えを返す。


ある時はそれで納得し、ある時はまた更に楊ぜんから新たな質問を投げかけられる。
大人では天地がひっくり返っても思いつかないような多種多様な子どもの問いに玉鼎は戸惑いながらも、自然とほほえむ。
この子の視点に合わせて見ていると、まるで今までの世界が全く違って見えるのだ。


「たとえば…人間の場合は食事に、睡眠――眠ることだ――そして人とのかかわりとかが栄養と言えるだろう」
「?じゃあ、このお野菜も、お食事とか…寝たりとか、お話したりとかするんですか?」
「……まぁ、そうとも言えるだろう。この胡瓜は水と太陽が食事の代わりで、暗くなると休んで…」


懸命に玉鼎の話に耳を傾けていた楊ぜんだったが、きょとんとした顔をして首を横に傾けた。
どうにもわかっていなさそうな顔である。
いや、もちろん玉鼎自身の説明も下手でわかりづらいのだろうが。
当たり前のことを、誰にでもわかるように説明するというのは何と難しいことだろう。
この年齢になって、そんなことにも改めて気が付いたのだ。





「じゃあ、育ててみようか」
「え?」


再び座り込んだ楊ぜんは、左右の腕で抱え込んだ両ひざの上に顎を置き、ことりとわずかに首を動かす。
その姿は、まるで無邪気な子どもそのものであった。


「これから二人で一緒に育てて、どうやったらこの苗が胡瓜になるのか見てみよう」


玉鼎はその場で腰を落とし、正面から弟子のぱちくりと絶え間なく瞬きしている瞳を見た。
玉鼎真人の長い髪が一瞬動きにつられて上にたなびいたかと思うと、地にゆっくりとした速さで落ち、音もなく乾いた地面にふわりと広がる。
玉鼎が姿勢を低くしても、楊ぜんよりも若干目線が高い。


自分よりも小さく、幼い者。
それだけで何と愛しいのだろうか。



玉鼎はこの幼い子どもの少し上から目線を合わせると、にこりと笑った。







「植物にとっては水と太陽の光は、人の食事と同じだから、絶対なくてはいけないものなんだ。土が乾いたら水をやるんだよ」

玉鼎の提案に賛成した楊ぜんと一緒になって、まず胡瓜の苗を地面に植えかえた。
その後幼い弟子の片手をひき、師は早速水辺まで連れて行く。

水場までたどり着くと、反対の手に持っていたじょうろを楊ぜんに渡した。
じょうろの取っ手を持ったまま、使い方がわからずに少々困った様子で、その場で立ったまま動かない楊ぜん。
その腕を玉鼎は軽くつかみ、水の汲み方を教える。


「わぁ…」

楊ぜんの口から感嘆の声が漏れる。
流れる水に、じょうろを少し斜めに倒して入れるとすぐに水がいっぱいになる。









初めてだったじょうろの使い方も玉鼎が手を添えたり、言葉で教えてやったりするとその日のうちに楊ぜんは慣れた。


元から頭がとてつもなく回る子である。
すぐに玉鼎のいう言葉の意味を全て理解した。


そして、玉鼎の言葉を理解した楊ぜんは毎日朝になると、一番に水やりをするようになった。
最初は玉鼎も一緒に水やりを行っていたが、毎日行っていくうちに徐々に植物に愛着がわいてきたようである。
そのうち朝起きると自分一人で、朝餉も食べないうちに駆け出して、水をやりにいく。
その日のうちに何度も土が乾いていないかと確認をしては、乾いているようだったらすぐにもう一度水をやる。
暑い日は、今日は暑いから大丈夫だろうかと心配をし、風が強い時は胡瓜の苗が倒れないだろうかとまたそわそわと心配する。
苗が大きくなってもいいように、玉鼎と一緒になって細い木も紐でくくりつけてやった。


玉鼎はそんな楊ぜんを見て、嬉しく思った。
実は、植物を育てるのはたしかに『植物が育つ』実際の過程を見ないが故に、想像がわかない楊ぜんが、自らの体験をもって理解をするためでもあった。
こればかりはどんなに言葉を尽くして説明してみても、実際に行ってみた方が早い。


しかし、玉鼎が勧めたのはそれだけが理由ではなかったと言える。
まだ、楊ぜんは仙人界のほとんど誰とも会ったことがない。
原始天尊とたまたま出会ったことがあるだけの太乙真人を除いて、他の誰とも接したことも顔を見たこともないのだ。



そして、楊ぜんの出会った時から今までの姿を見て、玉鼎が感じたこと。
彼は生まれの秘密や、父親の元を離れて預けられたという事情がある故。



――…基本的に人に対する信頼感が極端に薄い―――



いや、正確に言えば違うだろうか。
正体をばれないように、悪い人に見つからないように息を殺して隠れ、顔を強張らせて肩を怒らせる姿を見ると、相手に対する根本的な不信感や恐怖感すら抱いているように感じられる。
それは仕方のないことなのだろう。そうなってしまうのはきっと当たり前なのだろう。
でも……。
少しでもいいから、まずは植物でもいいから何かに自分からかかわるという体験を玉鼎は楊ぜんにしてほしかった。








玉鼎は楊ぜんと一緒になるべく胡瓜の苗の育つ様子を共に見に行った。



「……まだ、大きくなりませんね」
「はは、そうだね。早く大きくなるといいね」
「なかなか花も咲かないし、きゅうりも出来ません」



眉根を寄せて少し頬をふくらませる楊ぜんを微笑ましく見守りながら、玉鼎はふとあることを思いついた。


「そうだ、楊ぜん。耳を貸してごらん?」


頭を寄せた楊ぜんの耳元に、玉鼎は軽く手を当ててこそこそと小さな声で何事かをささやく。
楊ぜんは一言一句を聞き漏らすまいとして、玉鼎の声に集中した。
言い終えた玉鼎は耳元から離れると、いつもしてやっているように幼い彼の髪をゆっくりと梳き、頭をやさしく撫でながらおだやかにほほえむ。
玉鼎の笑顔を見て、楊ぜんもつられて嬉しそうに笑った。


「はい、わかりました…!!」







早朝、楊ぜんは一人でまだ花も咲かないきゅうりを正面から立ったままで見つめる。
師匠が昨日言っていた言葉を反芻した。





今現在ちょうど楊ぜんの分の朝餉を作ってくれている玉鼎。
どんな時でもやさしい――大好きな師――の姿を楊ぜんは思い返す。


師匠の方がぼくよりも大きいのに、いつもしゃがんで目線を合わせてくれる。
ぼくの方をまっすぐに見てくれる。
立っていた楊ぜんはその場でしゃがみこんで膝を抱えると、きゅうりの苗をじっと見つめた。


師匠は、いつもにこにこしている。
楊ぜんは頬の筋肉を緩めてみる。
何だかぎこちない笑い方だと自分で思った。
違う、違う。
その場で大きく首を横に振る。
そしてもう一度自然に力を抜くと、にこりと笑ってみせた。


師匠はやさしくて、ぼくの頭をよしよしと撫でてくれる。
楊ぜんは恐る恐る、小さな手で胡瓜の苗の葉に触れてみた。
思ったよりも固い感触にびっくりし、一瞬思わず手をひっこめかけたが、我慢をする。
よしよしとそのまま撫でてみる。


師匠は、ぼくが言われると嬉しくなることをいっぱい言ってくれる。
ここで楊ぜんの考えがいったん止まった。


では、それはどんなこと…?


楊ぜんは玉鼎との普段のやりとりを思いだした。
でも、言われて嬉しかったことはたくさんあって、それらは全て楊ぜんは事細かに覚えていたから、悩むこともなく、すぐに次々と思い浮かんだ。
そうだ。
言われて嬉しかったこと、いっぱいある。


「大好きだよ。可愛いね。素敵だね」


楊ぜんは胡瓜の苗をじっと見たままで口を開く。
あと、これは楊ぜん自身の願い。


「早く大きくなあれ!」


一瞬、短く強い風が吹いた。









玉鼎の元にばたばたとせわしない足音が近づく。
汁物の味付けを確認していた玉鼎は、楊ぜんがこのように走ってくることなどめったにないので、何事かと思い振り返る。


「どうしたんだい…?楊ぜ…」


喜びに目を輝かせた楊ぜんが玉鼎の足元にいきなり飛びついてきた。
玉鼎は驚きながらもそれを冷静に受け止める。


「大きくなりました!今、きゅうりが大きくなりました!」


玉鼎が目を見張るのも構わずに、頬を上気させて楊ぜんは矢継ぎ早に色々なことを話す。

「ぼくが早く大きくなあれって言ったらきゅうりの葉っぱが大きくなったんです。あと、大好きだよって言ってあげたんです。可愛いねって、素敵だねって。師匠がぼくにいつもしてくれるみたいに葉っぱをなでたんです。だから大きくなったんですよね?もっと大きくなるように、ぼくがいっぱい言葉をかけてあげたら明日にはもっともっと育って綺麗な花が咲くんでしょうか?おいしいきゅうりもなるんでしょうか?ぼくよりも、ししょうよりもお空よりももっともっと大きくなって、素敵なきゅうりが出来ますか?」



きらきらと瞳を輝かせる楊ぜんに、玉鼎は静かにうなずいた。
そして、大はしゃぎの弟子の頭をやんわりとなでる。



「あぁ、楊ぜんに素敵な毎日言葉をかけられたら、きっとあの胡瓜はすぐにもっと生長して、大きくなるだろう」










――言葉は心の栄養だよ。相手が言われたら嬉しいだろうと思う言葉、素敵だと思う言葉をいっぱいかけてあげなさい。
   そうすればきっと相手にも、その気持ちが届くから。






                                                                     ―終―





 その後のお話