1.

太公望はよく楊ゼンと食事を共にすることが多い。多くは仙道たちとの昼食や姫発や周公旦たち周側の人間たちと、仕事明けの夜食、時には周辺諸侯との公の会食などもある。

そこで気づいたことがひとつ。意外と食べるのが遅いのである。
公の場での会食やマナーに厳しい周公旦が同席する場ではわからないのだが、無礼講というか戦場と化す仙道たちとの食事ではそれが顕著になる。
仙道といっても、楊ゼンを抜かせば自分が一番年長かもしれない面子なので一般的な認識での仙道ではないかもしれないのだが。いわゆる、霞を食べて暮らす仙人とは程遠いメンバーなのである。

今、下山している仙道は天化、雷震子、ナタク、天化がいればたいてい弟の天祥も加えられて育ち盛りの欠食児童が4人、体格に比例して人並み以上の量を食べる武成王。この5人がそろうとあっというまに大皿は空になる。

「おぬし、それで足りるのか?」
「みんな、食べるのが早いのはいいことですが、きちんとかんでいるんですかね。師叔はちゃんと自分の量を確保してますか?」
「わしは伊達に大家族で育ってないからの。そこのところは心得ておる。お主が足りぬなら分けてやってもよいぞ」
「あ、いいえ。僕も量は足りてますよ」

なるほど、量が少なくてよいからそんなにゆったり食べておるのか、とそのとき太公望は思った。


夜になって、太公望は自分の間違いにきづいた。
スピードが遅いのではなく、スタートが遅いのである。
気づいたのは書類仕事が夜まで長引いて、休憩のお茶をしていたときだ。

大抵は楊ゼンが淹れてくれるのだが、そのときは城の者が気を利かせて持ってきてくれた。

いつものように口をつけた楊ゼンが顰め面をした。

「どうした?口に合わなかったのか?」
「あ、いえ。そういうわけでは」

ためしに飲んでみるがとくに問題はない。香りは楊ゼンが淹れてくれるものより数段落ちるが、いつもより熱いくらいである。顰め面をするほどまずくはない。

「師叔、よく飲めますね」

だが楊ゼンは口を手で押さえて、口が進まないようだ。
そこで太公望は気づいた。

「お主、猫舌か」
「えっ。僕は普通ですよ。師叔が熱さに強いだけですよ」
「いーや!お主が猫舌なのだ」
「そうですか?今まで言われたことなかったですけど」
「意外だのう。熱いものが苦手なんて、お主らしくない」
「苦手だなんて言ってないですよ。僕にその認識がないんですから勝手に決め付けないでいただきたい!」
楊ゼンは絶対に認めようとはしなかった。




2.

ところ変わって崑崙山脈は乾元山―

「というわけなのでな、なんとしてでも楊ゼンに猫舌を認めさせたいのじゃ。何かいいネタはないかのう?」
「楊ゼン君がねぇ。たしかに熱いものをふーふーする楊ゼン君なんてらしくないねぇ。昔ならともかく」
「昔?」
「うん。小さかったころの。といっても私が会ったのは10代前半の楊ゼン君だけどね。すごくかわいらしかったんだよ。いかにも良家のご子息ってかんじでね。まぁ、いまのあのテンションのあの子もツンツンしててかわいいけどね。」

「ほぉ、それではその頃の楊ゼンのネタを・・・」

「いやー私たち仙人はほとんど食べないしね。お茶はよく飲むけれど・・・。そういえば、玉鼎のとこで飲むお茶が楊ゼン君が弟子入りした時くらいを境に銘柄が変わったくらいかな。
前は青茶が好きだったはずなんだよね。あっつあつのやつ。でもあの子が来た後に緑茶とか花茶に変わったんだよね。子供には緑茶や花茶の方が口に合うからかなって当時は思ったけれど」

一口に「茶」といっても発酵度によって最適なお湯の温度はちがう。発酵度の高い青茶は温度の高いお湯が適しているといわれているし、緑茶や花茶などは発酵度かわ低いので比較的低温の方が風味が活かせるのだ。

「もしかしたら楊ゼンが熱いのを苦手だったから合わせたのかもしれぬな」

「そうかもね」

そう言ってから太乙は腹を抱えて笑い出した。
「なにかおかしかったか?」
「いや、ちょっと想像しちゃってさ。あの、玉鼎がふーふーしながら小さな楊ゼンに食べ物を与えてるところを!」
「いや、さすがに手ずからやらんのでは・・・。小さいといっても10代前半なら自分で食べられるだろうに。わしが崑崙に来たのも10代前半だぞ。」
「いーや!絶対にやってるよ。私が会った10代前半の楊ゼン君は崑崙に来て数年経っていたからね。玉鼎は赤子のころから一緒だったって言っているし。絶対に楊ゼン君の猫舌は玉鼎の育児の賜物だね!」

ほんっとーに玉鼎は弟子に過保護だよねー。

きっと玉鼎真人は太乙にだけは言われたくないだろうよと太公望は思ったが、自覚のない太乙に言っても仕方がないだろうと思った太公望は心の中でツッコミを入れるだけに留めた。




3.


「楊ゼンが猫舌?」
「太乙はお主の教育が原因というが。も、もしかして、ふーふーして食べさせてやったりしたのか?」
ストイックを地で行く玉鼎がそんなことをしている姿を想像できなくて太公望はおそるおそる聞いた。
「赤子なのだからそれくらいして当然だろう?」
あっさりと玉鼎は肯定した。

「・・・過保護だのう」
「あの子は年端も行かないころに崑崙に預けられたからな。家族の記憶もかすかにしか残っていない子供に、前の家でそうされていたと聞けば、そうしてやろうと思ってしまうだろう」

「そんなに幼いころに崑崙に来ておったのか」

「同じ年頃の子供もいなかったものだから食卓での競争も経験していないしな。西岐での食卓に最初は面食らっていたようだよ」

「まぁ、早食いは体によくないから気にすることはない、お前のペースで過ごしていればよいと言っておいたが。あまりからかわないでやっておくれ」
「べつに特別からかっているわけではないぞ」

心当たりのありまくる太公望の目が少し泳いだ。

「他ならぬおまえの言うことだからこそ過剰に気にしてな。自分の影響力を甘く見ない方がいい」



4.
「相談があるんだ」
真剣な面持ちの楊ゼンが自分に相談とは一体なんなのだろう?
「どうしたさ?」
「じつは熱いものの食べ方を教えて欲しいんだ」
「楊ゼンさん、切羽詰まった表情とセリフがあってないさ」

最近、太公望に何かにつけて猫舌だとからかわれるらしい
天化は食事中に二人がそんなやりとりをしていたなとかすかに思い出した。基本的に天化は食事中は食べることに集中しているので、太公望と楊ゼンが何を話しているのか聞いていないのだった。
次男で男ばかりの大家族で育った自分にとって食卓は戦場である。よそ見をしていたら、すぐに食糧はなくなってしまう。
自然とたべるスピードは早くなっていった。そして自然と身についたものを人に教えるのはなかなか難しいのだ。
「とくにコツなんてないさ」
それに、と天化は思ったことを言った。
「そんなに気にする必要ないと思うさ」
「いや、猫舌ってけっこうみっともないじゃない?甘やかされて育てられたみたじゃないか。
玉鼎真人師匠の沽券を下げるわけにはいかないし」

「ゆったり構えてる方があんたらしいさ」
よくよく考えてみれば、天化も今はそんなに急いで食べる必要もないのだ。成長期というわけでもないのだし。だが、幼い頃からの癖はなかなか抜けない。楊ゼンにとって食事は競争ではないのだ。天化は少しその環境が羨ましかった。

「師匠にも早食いは体に悪いから、気にせずそのままでいなさいとは言われているんだけどね」
なら、いいんじゃないか
「でも、師叔はお気に召さないみたいだから」
「師叔はべつにあーたをからかいたいだけじゃねーのさ?」
なんだ本当の原因はそっちだったのか。それにしても、太公望がそんな些細なことを気にするわけがないではないか。ただの軽口だ。
戦闘にしろ事務仕事にしろ普段から太公望の補佐役のようなものをこなしているのにどうして傍から見ていれば大抵の人間が気づくことに気づかないのだろうか?


5.

「まったくだ。お主はしょっちゅうワシと共におるのに、全くわかってない!」

「師叔!」

元凶の登場に天化も楊ゼンも驚いた。たしか仙界に太公望は中間報告に行っていて戻りは明日のはずだった。

「どうされたのですか?」

「いや、お主がずいぶんと見当はずれな問題で悩んでおると聞いてな。べつにわしはお主の猫舌をどうにか直して欲しいとか、みっともないとか思ってはおらぬよ」

ただ、ほんの些細なことでもいい。太公望は楊ゼンに己の弱点を認めて、周りに頼ってほしかっただけだ。


「じゃあ、師叔はとくに気にされてなかったんですね」

「必死に否定するお主の反応が面白くてのう。ついつい」

「師叔!あなたはどこまで僕をからかえば気が済むのですか!」


ホッとした様子の楊ゼンについ余計な一言を言ってしまい、あやうく三尖刀で三枚におろされそうになった太公望であった。






0.silver spoon

息子が生まれた。
本来ならめでたいことである。ほうぼうに触れ回って盛大に祝いたいところだが、事情は複雑でそうはいかなかった。
問題だったのは母親だ。女は子供を産んですぐに金ゴウを出て行ってしまった。いつか息子を取りに戻るから、と言い残して。もはや彼女は金ゴウにとっては裏切り者で指名手配犯のようなものである。
この子の存在は隠しておかなければならなくなってしまった。母親がいなくとも本来なら乳母をつけ専用の使用人を数人、家庭教師をつけ、傅かれるはずだったのにそれはできない。使用人たちがいつあの女に寝返るかわからないからだ。
私自身でこの子を育てなくてはならない。
数千年の時を生き、仙人界の片翼を担う金ゴウ列島の教主として数多の仙道を率いる私でも育児は未経験だった。そもそも子供を持つこと自体が初めてなのだ。
育児書などもないため、知識をもっていそうであの女の誘惑にかからないもの者に聞いてみることにした。

「育児、ですか?あの、教主さま、もしや私の仙人号に聖母とついているから聞いてらっしゃるのですか」
「おまえくらいしか、思いつかなかった」
「申し訳ないのですが、わたしではお役に立ちそうもないですね。ただ、一般的には人肌に温めた粉ミルクを与える方法をよく聞きますが・・・」

粉ミルクならあった。人肌か・・・
「人肌とは何度くらいを指すのだろうか?」
「さぁ、そもそも私たち妖怪仙人はあまり加熱したものは食しませんし。おそらく、聞仲なら知っておりましょう。殷王家の教育係なら子育てもある程度知っておりましょう」

地上に戻っていた弟子に尋ねてみると、彼はいくつかの助言と参考までにと育児書を送ってくれた。

1年もしないうちに息子は成長をし私と同じものを食べられるようになった。赤子のころから人型をほぼ保てるほどの力をもった子だったからか、成長は早かった。

それでも、こんなに小さく無力な存在が近くにいるのは初めてで加減がまだわからない。食事を共にするときもついつい熱すぎないか心配になって自ら冷まして口に運んでやってしまう。

弟子たちが私のそんな姿をみたら驚くだろう。私自身も驚いている。

「お父さま」
「なんだ?」
父上と呼べといってもこの子は私をお父さまと呼ぶ
どうしてかと聞いたら、みんながお父さまのことをお父様って呼ぶから僕もみんなと一緒がいいのです。といわれた。

「みんなとまた遊べないのですか?このあいだ、きつねさんはたかいたかいをしてくれて、おめんさんはおえかきをいっしょにしてくれました」

「そうだな。もう少し時が経っておまえが大きくなったら、いつでも会えよう」

「ぼく、はやく大きくなりたいです」
「なら、たくさん食べるのだ」
スプーンを口元に持っていってやる
「あつっ」
「すまぬ」
まだ熱かったようだ。火傷をしないように冷ましてもう一度口に運んでやると、今度は平気だったらしく満足そうに小さな口を動かしていた。

「よく噛んで食べるのだぞ」
「はい、お父さま」


早く大きくなれ。私の子よ。
おまえは可能性に満ち、何者にもなれるのだから


だが、ずっとこのままこの子とこうして過ごしていたい。
子を持つ親は皆そう思うのだろうか?







<終>

written by 結姫さま(*katze*

[12年 05月 31日]