笑顔の理由

仙界大戦が終わってしばらく後、ようやっとナタクの身体の修理もほぼ終わり、最後のメンテナンスチェックの段階に入った。


「どうだい?ナタク?手を握ったり開いたりしてごらん?どこかひきつれた感じはしないかい?」
「…問題ない」
「その他にどこか身体に違和感を感じるところは?何せ今回は特別損傷が酷かったから、丁寧に見たつもりではあるけど、体の調子とかはどうしても本人にしかわからない部分もあるからね」
「いや、いつも通りだ」


自分の掌を見つめながら、いつもの調子で答えたナタクに、太乙はいつもの人の好さそうな笑みを浮かべる。


「そうかい…?それは良かった…!」


ナタクは珍しくかすかに眉をひそめたかと思うと、太乙真人の笑顔を凝視した。


「…何でお前は、いつもへらへら笑ってるんだ?」
「へ?」
「お前は十二仙だろう?なのに、いつもそんな風に情けなく笑っているから、全然強そうに見えない」
「う~ん…そうかなぁ?でも、太公望だっていつもダラダラしてるけど、実は強いよ?」
「あいつは十二仙じゃない…!楊ぜんも、聞仲も、 原始天尊も、強いヤツは皆お前みたいにへらへらなんかしていなかった…!なんでお前はいつも弱そうに笑っているんだ!」


マイペースに首をかしげて思案する太乙に、珍しく激しい口調でかみつくナタク。


どうやらずっとナタクは疑問に思い、心の内に思いをため込んできたらしい。


これだけ長く話しているのだからよっぽどなのだろう。
太乙は内心で少々驚きを感じた後、そしてふと我に返ったように真顔になる。
自然と唇を上に上げ、知らず知らずのうちに太乙はやさしい笑みを浮かべた。


「ナタク…私が強いかどうかはとりあえず置いておいて…。強いというのは人それぞれなんだと私は思うよ」
「……?」
「強い人がいつも怖そうだったり、真面目な顔をしていたり、威厳があったりする表情をしているとは限らないんじゃないかい?」


意味が全く飲み込めない、というように心底不思議そうな顔をするナタク。


太乙真人は思い出す。
遠い昔に十二仙入りを果たしたあの日のことを。
それからその時の心無い自分の周囲への接し方のことを。
自らを戒める意味も含めて。




……そう、あの頃は今以上にまだまだ精神的に未熟だった。










日々修行と研究に明け暮れ続け、崑崙山に来てからどれくらいの月日が経ったのかもとうに忘れ果てた頃、太乙真人は晴れて願ったり叶ったりの十二仙入りを果たした。


だが、太乙真人はいつも苛ついていた。
十二仙に昇格されたばかりの時は、自分のしたい研究がこれからは好きなだけたっぷり出来るのだと思った。
寝ても覚めても宝貝開発の研究、また研究。
ずっととにかく自分の突き詰めたいことだけを追いかけていけると信じて疑わなかった。


だが、実際にはそうは上手くいかなかった。


宝貝開発はともかくとして、太乙真人が兼ねてから頭の中で一人構想を練っては悦に入っていた『宝貝人間』の考えは、周囲から異端だと散々言われ、猛反対の声が次々と上がった。



自分のやりたいことなど十二仙になったからといって出来る訳ではなかった。
それどころか、他の仙人・道士の見本となるよう常に足枷をはめられて、より息苦しさが増しただけだった。
太乙は、十二仙になったことをすでに後悔し始めていた。


太乙は自分に話しかけてくる者や、宝貝の直しを頼みに来る仙人に、無愛想に応対する。



自分の周囲にまるで棘を張り巡らせるかのような太乙真人に、彼が崑崙山に来た当時から仲が良かった者は三者三様の見方で助言なのか、そうでないのかよくわからない言葉を贈る。


雲中子は言う。
「別に周りのことなんて気にしなければいいと思うがね?自分の研究が認められようと、認められないであろうと、研究が出来る立ち位置にいることはかわりないんだから。そもそも、それって誰かに認められたいってことだろう?なんでそんな風に君が思うのかがよくわからないなぁ。何を言われようと無視して、自分の好きなことをやってしまえよ。それが研究者の努めさ!!」


道徳真君は言う。
「苛々している時はスポーツに限るよっ!よし、それじゃあ一緒に朝歌の街をマラソンで一周してこないかい?きっと色々な思いも気持ちのいい汗と共に浄化されるさっ!」


玉鼎真人は言う。
「私は研究のことはよくわからないが、お前が進めている宝貝人間という計画は本当に素晴らしいのだろうと思う。だからこそ、逆に反対する者も多いのかもしれないな。しかし、私が凄いと思うように、他にもそう思っている人はきっとたくさんいるはずだ。お前ももう少し肩の力を抜いていいんじゃないか…?太乙…お前自身がもっと肩の力を抜けば、きっと新しく見えてくるものがあると思う」





友達とは良いものだ。
何だかんだ言いながらも、自分のことを心配してくれている。


だがしかし、ここの所太乙真人は気分がずっと晴れず、乾元山にこもりっきりのまま、大好きな筈の研究も手につかない。


今も長らく一人で鬱々と考えている。


何かが、どこかがきっと違うのだと気づいていながらも、それが一体何なのかが太乙には見当がつかなかった。


太乙は机の上に上半身を投げ出し、目を閉じてこれからの行く末について漠然と思案をめぐらせた。








――――その時だった。


乾元山の入り口から不意に誰かの声が聞こえた。
太乙は机上から仕方なしにゆっくりと頭を上げ起き上がると、気怠そうに入口まで向かった。


……何だかちょっと疲れてしまった。


のんびりと歩きながら、太乙は若干乱れていた髪を適当に手で撫でつける。





入口までたどり着いた太乙が目にしたのは、見たことのない小さな少年が一人、今にも泣きそうな顔でぽつんと立っている姿だった。



生来からの上品そうな気質、顔立ち。
どこまでも冴えわたりそうな青い髪が、太乙の脳裏に鮮烈に印象を散らしていく。


姿形は全く人と同じで、変わりない。


なのに……なぜだろう…?


まだ子どものようだが、何かが、どこかが普通の者とは違う。
太乙はなぜかこの少年を一瞬見た時にそのように感じた。



しかし、太乙真人の心の奥底を知らぬまま、この少年はか細い声で話を始めた。


「…ぼくは、玉鼎真人ししょうの弟子の楊ぜんです」
「……?」
「太乙真人さま、お願いです…っ哮天犬を、ぼくのともだちを助けてください…!」


この時、師匠もなしに一人きりで乾元山にやってきた彼の縋りつくような想い。
一体彼はここに来るまでにどのような葛藤を抱えながら、幾何の勇気を持ちながら、自らの大事な友である哮天犬を助けたい一心でここまでやってきたのだろう。


当時の彼の気持ちを今考えると、涙が出てきそうだ。


だが、太乙真人がそれに気づくのはもっと後のことである。






自らの背よりも二回り以上も大きい犬を背負いながら、今にも泣きだしそうな表情の彼に太乙は少々混乱した。
しかし、太乙以上に混乱していたのは楊ぜんだったようである。


「哮天犬が急に動かなくなっちゃったんです…ぼ、ぼくのともだちなのに。ししょうも今日は出かけていて、いなくて…。哮天犬がこのまま動かないままで死んじゃったらどうしよう…!それで、たしか前に、宝貝の具合がわるくなったら何でも直してくれる人がここにいるって聞いたから…」


楊ぜんは取り乱してはいたが、恐らく元は頭の良い少年なのだろう。
それでも大体の話はわかった。
だが、太乙がただ黙って話を聞いていると、段々と更にパニック状態が加速してきたようである。


「ぼくが何かいけないことしたから、哮天犬が動かなくなっちゃったのかな?一緒に遊んでいたのがいけなかったんでしょうか…っ本当は、哮天犬はずっと具合が悪かったのにぼくが気づかないで遊んでいたせいだったらどうしよう…ぼく、側にいたのに。なんで、なんで気づかなかったんだろう…!」


大きな瞳から涙があふれ出しそうになるのを懸命にこらえてようとしているのが一瞬で見て取れた。
どうやらこの少年にとって、哮天犬とは宝貝以上の大事な存在であるらしい。
宝貝取得を修行の最終目的としたり、戦闘の上でのただの道具とみなす者が多い中、彼は自分の側にいる哮天犬というかけがえのない友達にこんなにも心を割き、自らの心がすり減りそうな程心配しているのだ。


この少年を出来ることなら少しでも安心させてやりたい、と太乙真人はこの時初めて思った。


「……大丈夫。僕は宝貝作りの天才だから。必ず、君の大事な哮天犬を元気にしてみせるよ」
「本当ですか?!」
「あぁ、本当だよ」
「こ、哮天犬が…し、…死んじゃったり…しません…か?」
「大丈夫だよ。必ず元気にして返すって、約束する」


とっさに顔を上げる少年の表情があまりにも必死で太乙は思わず、かすかに微笑んだ。
少年が先ほどより少しは安心したようにふっと表情を緩める。



太乙はその楊ぜんの姿を見て、はたと気が付いた。
今まで、太乙自身が笑顔で人と相対することが一体どれだけあっただろうか。
太乙が自ら作った宝貝を手渡す時。誰かと話をする時。
どれ程の笑顔を自分は人に向けてきただろう。



こんなに幼い者に、太乙は今まで考えもしなかった何か新しいことに気づかされたような思いだった。



楊ぜんから哮天犬を受け取り、太乙は修理に取り掛かった。














無事哮天犬の修理も終わり、楊ぜんが喜びの再会を果たしている頃。
玉鼎真人は血相を変えて乾元山に飛び込んできた。


「私の弟子がこちらに来ていると先ほど原始天尊様から伺った…!楊ぜん…!」


哮天犬とじゃれあって遊んでいた楊ぜんは、走ってくる自らの師の姿を見て、みるみるうちに瞳に涙をためる。
師が来たら、てっきり楊ぜんは安心のあまり大泣きして飛びつくのかと思っていた太乙だったが、彼はその場でうつむくと瞼に浮かぶ涙を、握り拳で何度も何度も拭おうとする。
まるで、泣いてはいけないと自分に言い聞かせ、我慢しているようだ。
そんな楊ぜんを玉鼎はやわらかな笑顔で抱き上げた。


「――すまなかったな、楊ぜん。一人で心細かっただろう」


その言葉を玉鼎が言い終えた途端、楊ぜんは突然糸が切れたように泣き出した。
玉鼎は今までどちらかというと弟子を一人の大人として見て、一定の距離を置きつつもあたたかく見守る人物であるように太乙には見えていた。
なので、自ら歩み寄って大事そうに抱えている今回の様子は、太乙にとっては少々意外に感じた。


「今日はすまなかったな。太乙。そしてありがとう、礼を言う」


どんな時でも律儀に頭を下げる玉鼎に、太乙は何だかおかしくなってつい軽く笑ってしまう。


「いや、別に大丈夫だよ。宝貝である哮天犬を、あんなに大切にしてくれる子もいたなんて、何だか嬉しかったしね」


にこりと笑う太乙に、玉鼎は首をかしげる。


「お前……何だか今までと雰囲気が…?」
「ん…?」
「……いや、…何でもない。では、今日はこれで失礼する」



帰りかけた玉鼎真人の腕に抱かれていた楊ぜんがふと何かに気づいたかのようにいきなり顔を上げた。
師の腕の中にいることで安心して楊ぜんは多少は気持ちが落ち着いたようだったが、それでもまだ瞳に涙がたまっている。

彼は、玉鼎の耳元で何事かをささやいた。

玉鼎は軽く笑った後に楊ぜんをゆっくりと降ろすと、そのまま立ち止まる。
楊ぜんは服の袖で両目の端に残る涙をぬぐったかと思うと、たたたっと小走りで太乙の目の前までやってきた。



「太乙様、今日はありがとうございました」


楊ぜんは礼儀正しく、ぺこりとその場で大きくお辞儀をする。


「太乙さまは宝貝を何でも直せちゃうっていうししょうのお話は本当だったんですね。ぼくの大事なともだちの哮天犬を助けてくれて、とっても嬉しかったです」



そして、最後に楊ぜんは恥ずかしそうな表情で少しだけほほえんだ。
気が付くと太乙も、自然と笑顔になっていた。















当時のことを思い返し、懐かしさに顔をゆるめる太乙を見て、ナタクは怪訝な表情を浮かべる。


「何笑っている?」
「ふふ、別に?」
「で、お前はへらへら笑っていても強いのか、それとも弱いのか」
「さあね…?でも、まぁ簡潔に言うと、つまり笑顔でいることは素敵だねっていうことだよ」
「お前の言うことは、いつもよくわからん…!」


ナタクは苛々したように顔をゆがめた。


「あはは?そうかい…?わかりづらくてごめんね~」


だが太乙真人はあえてそれでも当時のことをナタクに話そうとはせずに、あいまいにごまかしてしまう。





大丈夫、君はやさしい子だから。
今はわからなくても、きっといつか近いうちにわかる日が来るから。

どんな時でも、笑顔が一番。
だって、笑顔は人を安心させる。人を癒す力がある。



――誰かの笑顔はきっと周りの誰かもしあわせにするんだよ。


   それは、とても素敵なことだと思わないかい?




……でも、今はまだとりあえず、上手く話せないからこのまま黙っていよう。




ナタクの口下手な所はやっぱり僕に似ちゃったのかな…?









written by 水鏡沙綾様(Eternal Crystalia

[12年 03月 31日]