飛虎は一足早く昼休みに入っており、文机の端に腰をかけて私の仕事が終わるのを待っている。ここ最近続いているパターンだ。意識のしすぎかもしれないが、作業をしている至近距離で真上から見下ろされていると、妙にそわそわして落ち着かない。だがそうと言うのも癪だから代わりに「机が壊れるから椅子に座れ」と口を酸っぱくなるほど繰り返しているのだが、飛虎は「壊れたためしがないじゃねえか。さすが太師様の机は立派だぜ」と笑い飛ばして気にも留めないのだった。いっそ本当に壊れてしまえばいいのに、と思う。

「なあ、聞仲。桔梗ってどんな花か知ってるか?」
「は?」

 冗談を言われたのかと思って書類から顔を上げると、定位置にいる大男はここしばらく見ないほど真面目な表情をしていた。確かにこの鬚面から花の名前など出てくると思わず噴き出してしまいそうな違和感があるが、それにしても桔梗を知らないとは。

「武骨者」
「悪かったな、どうせ俺は物知らずだよ」

 無精ひげがなければ間違いなく童顔と類される造作なのに、むくれると更に幼く見える。本人には無論言えないが、真剣な時の精悍な表情との落差が私は好きだった。

「・・・・・確かこの宮の裏にある植物園に植えてあったな。こちらも一区切りがついたから、案内してやろう」
「おう、悪ィな」

 筆を置いて立ちあがると、飛虎も慌てて机から腰を浮かす。食欲旺盛な男が昼食を取っていないのに渋らなかったことが意外だった。

 

 

「へえ、こいつが桔梗か」

 「普通に見たことあったな」と笑う飛虎に、普通は名前を聞けば分かるぞと返す。もっともだと思ったのか、飛虎は頬をかくだけで何も言い返してこない。花に囲まれている彼はやはりどこか場違いだ。だが当の本人はやけに真剣に花に見入っている。

「俺、近々結婚するんだ」
「・・・ほう」

 一瞬でも不意打ちだと思ってしまったのは、あえて考えることを避け続けてきたせいだ。
 飛虎は名家の嫡男なのだから、結婚は当然のことではないか。むしろ少し遅いくらいだ。私は無表情の下で必死に自分にそう言い聞かせる。気の利いた言葉ひとつ言えない私を、飛虎は気にとめていないようだった。私に話しかけているようで、実際は自分の世界に入り込んでいるのかもしれない。

「相手には会ったことなくてさ。どんな人なのか気になるじゃねえか。
 昔馴染みだって奴に聞いてみたんだ。そしたら」

 あなたの奥方になる人は、それはそれは美しい娘さんですよ。
 姿も心根も凛とした、桔梗のような方ですよ。

 飛虎はその場にしゃがんで、桔梗に目の高さを合わせる。夢見るような眼差しは初めて接するものだ。まるで女性の手を握るように、逞しい手が紫の花びらに触れた。

「・・・・武家の妻にふさわしい女性のように聞こえる」
「そうだな」
「おまえにはもったいない、と言われんようにしないと」
「ああ」

 息苦しさから逃れたくてわざと冷やかすように言ったのに、返ってきた答えは茶化しようがないほどしっかりとした重みを帯びたものだったから、私は完全に気持ちの行き場をなくしてしまう。
 胸が軋む。おかしな話だ。そもそも私はこの男に一体何を期待しているのだろう。
 自分の立場をはっきりと思い出して、無理やり笑みを浮かべる。この場で友が言うべきことはたった一つしかない。

「おめでとう、飛虎」

written by みつん(百代の過客

[11年 11月 03日]